Lawnbowls

ある在野の文学研究者の行動記録。

お仕事募集中です。ご依頼は 84oca75 (アットマーク) gmail.com へお願いします。
ヒュー・ロフティング伝(7)──フローラとケイト
 ヒュー・ロフティングは61年の生涯で3度にわたり結婚しました。長女・エリザベス(リン)と長男・コリンの母親である最初の夫人・フローラと、次男・クリストファーの母親で第11巻『緑のカナリア』と最終巻『楽しい家』の序文を書いている3人目の夫人・ジョセフィンはそれなりに知られていますが、2人目の夫人であるキャサリン(ケイト)・ハロワーについてはほとんど知られていないのではないでしょうか。

 ケイトの旧姓は多くの資料でピーターズ(Peters)ないし結合姓でハロワー=ピーターズ(Harrower-Peters)とされていますが、このピーターズという姓はヒューと再婚する前の夫の姓で、最初の結婚以前はキャサリン・グロンソン・ハロワー(Katherine Gronson Harrower)と名乗っていました。1893年12月23日、ホレイショ・ハロワー(Horatio Harrower)の娘としてニューヨークで生まれた彼女は若き天才建築家として名を馳せていたフレイジャー・フォアマン・ピーターズ(Frazier Forman Peters, 1890 - 1963)と1916年に結婚し、コネチカット州のウエストポートへ移り住みます。

 ケイトが後に再婚するヒューとどのような形で出会ったのかは明らかではありませんが、ロフティング家とピーターズ家には一時期、家族ぐるみの付き合いがあったようで両者はフローラを通じて知り合ったと見るのが自然なように思えます。位置関係で言うと、ウエストポートはロフティング家の在ったマディソンから西南西へ50kmほど離れた町です。

 ヒューが第4巻『サーカス』と絵本『おかゆ詩集 Porridge Poetry』を刊行し、そのまま第6巻『キャラバン』をニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の新聞連載小説として執筆していた1924年は多忙な年でした。遅くともこの年までにヒューとケイトは出会っていたはずですが、この年の5月に第3子となる次女のジュディスを出産したケイトと夫のフレイジャーは修復し難いまでの不仲となっていました。対するヒューも多忙を極める中で、西部戦線での凄惨な体験に起因するPTSDを発症してアルコール依存症に苦しんでいました。フローラは懸命に夫を看病していたのですが、この頃から体調を崩しがちになりヒューの側も妻に気苦労をかけていることをかなり気に病んでいたようです。こうして互いに家族関係で悩みを抱えていたことが、ヒューとケイトの間に恋愛と言うよりも何でも打ち明けられる親友のような関係を築く契機になったと見られます。実際、ケイトは家庭を支える役回りに徹したフローラと対照的にかなり自由を追い求めるタイプの女性だったようで、最初の夫・フレイジャーとの確執もそのあたりに原因がありそうです。そして、この「自由を追い求め、それでいて1人ではいられない」女性像はこの年に執筆した『キャラバン』で緑のカナリア・ピピネラとなって開花するのですが、それはもう少し先の話となります。
| 84oca | ヒュー・ロフティング伝 | 08:00 | comments(0) | trackbacks(0) |

コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://lawnbowls.blog.bai.ne.jp/trackback/197653
トラックバック

CALENDAR
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< December 2017 >>
RECOMMEND RECOMMEND RECOMMEND RECOMMEND RECOMMEND RECOMMEND RECOMMEND RECOMMEND RECOMMEND RECOMMEND RECOMMEND COMMENTS
RECENT TRACKBACK
  • 解題『ドリトル先生局』──『郵便局』と『サーカス』はどっちが先?
    Lawnbowls (08/05)
  • ヒュー・ロフティング伝(4)──ナイジェリア時代
    Lawnbowls (07/11)
  • 解題『ドリトル先生アフリカゆき』(8)──人種差別問題
    Lawnbowls (06/07)
CATEGORIES ARCHIVES LINKS PROFILE OTHERS