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解題『ドリトル先生の郵便局』(13)──患者のストライキ
『北極マンスリー』創刊に当たり、ドリトル先生とその家族である動物たちが順番に話をして誰の話が一番面白かったかを読者に投票してもらうことになりました。最初の晩は、ドリトル先生のお話「患者のストライキ」です。
 なお、第3部で披露される先生と動物たちのお話は全部で7編あるのですが、この解説では3編を紹介します。残りのお話は実際に読んでみてください。

若き日のドリトル先生とキスビー卿
若き日のドリトル先生とキスビー卿
(『ドリトル先生の郵便局』挿絵、ヒュー・ロフティング画)


 最初の晩は、ドリトル先生がお話しをすることになりました。先生がどの話をしようかと考え込むと、トートーがポケットに入っているものをテーブルの上に出すよう先生にアドバイスし、その中から出て来た古い体温計にまつわる「患者のストライキ」というお話をすることに決まりました。
 先生が大学を卒業して開業医になったばかりの頃、新しい体温計を買ってその体温計が正常に動作するかどうか確かめたかったのですが先生は至って健康で風邪を引くことも無く、また新米医師の許を訪れる患者もいなかったので体温計を使う機会がありませんでした。そこへ、友人のコーネリアス・Q・フィップス医学博士(Doctor Cornelius Q. Phipps)から「サナトリウムを共同で開業しないか」と持ちかけられます。
 2人が開業したサナトリウムには多くの患者が詰めかけ、先生が買った体温計も入院患者の体温を計るのに大活躍しました。ところが、開業してからしばらく月日が経つと先生はあることに気付きます。サナトリウムへ入院した患者が、一向に快復して退院する気配が無いのです。
 先生はフィップスに患者が退院しないのはどうしてだろうと質問しましたが、その質問に対するフィップスの返答は、驚くべきものでした。
「ドリトル君……出てゆかせるというのか?──とんでもない! かれらに出てゆかれては、われわれはこまる。患者はここにいて、いつまでも金をはらってくれるにかぎるのだ。」

(訳・井伏鱒二)
 フィップスの回答は医者の本分に反すると感じた先生はすぐさま反論し、大喧嘩になりました。そして、先生がフィップスの部屋を出たところで車椅子に乗った入院患者が通りかかります。その患者、ティモジー・キスビー卿(Sir Timothy Quisby)は入院患者の中でも最も丁重に扱われていた要人でしたが、かねてから先生はキスビー卿の症状が何かわからずじまいで詐病を疑っていました。キスビー卿が先生に「熱を計ってくれないか」と求めると、怒り心頭に達していた先生は「勝手にしろ」と捨て台詞を浴びせて立ち去ってしまいます。この対応に激怒したキスビー卿はすぐさまフィップスを呼びつけ、先生に自分への非礼を詫びるよう要求します。しかし、先生が頑として謝らないと言うとキスビー卿は車椅子からシャキッと立ち上がり、補聴器を振り回してサナトリウム中に自分が受けた辱めを宣伝すると共に「患者の権利のためにストライキを行うべし」と演説して回りました。
 他の患者たちはキスビー卿に従い、夕食後にお茶を飲むことを拒否しました。フィップスは患者たちに医師の指導に従うよう求めましたが、もはやどの患者も聞き入れません。めいめい食べてはいけないと言われていた物を食べ、食後の散歩を指示されていた患者は病室に籠り、外出を禁じられていた患者は夜遅くまで町中を走り回って大騒ぎしました。そして、就寝時刻を過ぎると一斉に湯たんぽを枕代わりにしてぶつけ合いを始め(原文は"having a pillow fight with their hot-water bottles". 井伏訳では「枕のぶつけっこ」とされている)、翌朝にはキスビー卿を始め全員が健康体になってサナトリウムを退院したのでした。
 先生は最後に、こう振り返ります。
「わしは成功者ではなかったかも知れん。──だが、それも、わしには、よくわからない。とにかく、わしは、サナトリウム事業をとび出たために、フィップスがサナトリウム事業にとび込むことによってなおしたよりも、ずっとたくさんの患者をなおしたからな。」

(訳・井伏鱒二)

 このエピソードは短く簡潔で、かつ寓話化されていますが色々と示唆に富んだ内容となっています。ロフティングが当時の流行だったアーサー・コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』やアガサ・クリスティの推理小説を愛読していたのは『サーカス』や『動物園』ないし『楽しい家』の「気絶した男」、そして番外編『ガブガブの本』の描写から察して間違い無いと見られますが、このエピソードもドイルが友人とイングランド南西部のプリマスで診療所を共同開設し、半年で喧嘩別れして閉鎖した実話を彷彿とさせます。ドイルとロフティングには「父親がイングランド人で母親がアイルランド人」という共通点があり、両者は一面識だに無いにしても「当代一の流行作家」と言う以上の親近感をロフティングがドイルに抱いていた可能性は、当然に考えられるところです。

 また、1996年に新潮選書で刊行された高田宏『生命のよろこび ドリトル先生にまなぶ』の第5章では「医療のビジネス化に対する警鐘」という観点よりこの「患者のストライキ」を取り上げています。



| 84oca | ドリトル先生の郵便局 | 20:08 | comments(0) | trackbacks(0) |

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