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解題『ドリトル先生航海記』(15)──ジョング・シンカロット王の即位
 クモサル島で起きた難題を立て続けに解決したドリトル先生はポプシぺテル族の選挙で新しい長老に選ばれ、遂には島の王様に祭り上げられてしまいます。
ささやき岩と休火山のかかり石
ささやき岩と休火山のかかり石
(『ドリトル先生航海記』挿絵、ヒュー・ロフティング画)

 先生がバグ・ジャグデラグ族の集落へ講和条約を締結に行っている間にポプシぺテル族の集落では亡くなった長老に代わる新しい長老を決める選挙が執り行われ、先生が新しい長老に選出されました。それどころか、島を統一する偉大な王として島内のささやき岩(The Whispering Rocks)で戴冠式が実行されることになってしまいます。
 先生は「自分は王になどなりたくないし、その器でもない」と辞退しますがポプシぺテルの人々の意志は固く、また講和条約を結んだバグ・ジャグデラグ側もこの結果を受け入れると伝えて来たので困り果ててしまいました。バンポは自分の父王──かつて「白人だから」と言うだけの理由で先生を投獄したジョリギンキ国王に120人の夫人がいることを引き合いに出して「王様になるのも悪くないのでは」と言いますが、先生は「それはよろしくない。120倍もよろしくない」と顔をしかめるばかりでした。
 この場面はよく「先生は女嫌いである」と言う意味で引き合いに出されますが実際のところ、19世紀前半のジェントリ(地主階級)は独身者が珍しくなかったことと先生にとって長年、最も身近な女性が何かにつけて口やかましい妹のサラだったと言うあたりの印象を率直に述べているだけで、そこまで深読みする必要はないのかも知れません。ブリタニカ百科事典では「独身者の自由奔放な生活を生き生きと描写している」点に本シリーズの魅力があるのだと解説されていることもまた事実ですが。
 また、ロング・アローは島民の意思が固い以上、自分にはそれを拒む術がわからないと言った風で先生に同情のまなざしを送るだけだったので、とうとう先生は即位を受諾せざるを得なくなってしまいました。
 そして、島の中心部にあるささやき岩で戴冠式が執り行われることになりました。このささやき岩はすり鉢状の峡谷で、ひそひそ声で話したことでも峡谷いっぱいに声が伝わるのでそう呼ばれています。その中心には象牙で作られた玉座があり、その玉座で島を統一する偉大な王に王冠を授ける時、クモサル島は漂流をやめると伝承されているのでした。戴冠式の当日はポプシぺテルの人々が全員、円形競技場を埋め尽くすように、クモサル島の師史上初めて全島を統一する偉大な王の即位に立ち会おうとささやき岩へ集いました。
 この即位に際し、先生のジョン・ドリトル(John Dolittle)──"Dolittle"は"do little"、つまり「僅少な働き」を意味し、それは先祖が怠け者だったのでそう呼ばれていたと思われますが──と言う名前は偉大な王にふさわしくないとして、新たにジョング・シンカロット(Jong Thinkalot)つまり「多くを考える」と言う意味の"Think a lot"へ勝手に改名してしまいます。
 先生が木製の王冠をかぶり、玉座に腰かけるとポプシぺテルの人々は一斉に「ジョング王万歳!」「ジョング王の末永き治世を!」と叫び始め、新王の即位を祝福する声が峡谷中に響き渡ります。すると、島の最高峰である休火山の山頂にあるかかり石(the Hanging Stone)がその響鳴に揺り動かされて火口へ転落し、そのままクモサル島の地下に広がるガスの溜まった空間を貫いてしまいました。その結果、クモサル島は伝説の通り漂流をやめてようやく安住の地を得たのでした──その際、海岸沿いの海抜が低い場所にあったポプシぺテルの集落は水没してしまいましたが、一人の例外も無くささやき岩で戴冠式に立ち会っていたので全員が無事でした。

 ロング・アローにしてもクモサル島の島民たちにしてもそうですが、現在では政治的な理由で"Native American"と呼ばれることが多い人々のことをロフティングは作中で"Indian"と一貫して表記しています。しかし、その外観や慣習はアングロアメリカ(アメリカ合衆国とカナダ)のインディアンとラテンアメリカ(メキシコ以南、南アメリカ大陸、カリブ海)のインディオを混同してしまっている感が否めません。ロング・アローの場合、ペルーのアンデス山中で生まれ育ったと言うぐらいなので15世紀から17世紀にかけてスペインのコンキスタドールに滅ぼされたインカ帝国の末裔、つまりインディオのようにも思えますがその風貌はどう見てもアングロアメリカのインディアン風ですし、クモサル島の島民にしてもラテンアメリカのインディオ(インカ帝国、或いはアステカ帝国)のように王を戴くかと思えば、トーテムポールを築くなどやはりその風習は血縁支配の伝統が存在しないアングロアメリカのインディアン風です。こうした描写の不正確さは何もロフティング個人の取材不足という問題ではなく、よく「コロンブスが連れて来た」と言われる白人の視点から書かれた多くの文学作品や映画作品──何度も映画化されているジェイムズ・フェニモア・クーパー(James Fenimore Cooper, 1789 - 1851)の『モヒカン族の最後』なども共通して抱える問題であり、そうした刊行時には余り重視されなかった問題点の存在を現代の読者は認識する必要があるでしょう。
| 84oca | ドリトル先生航海記 | 21:57 | comments(0) | trackbacks(0) |

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