Lawnbowls

ある在野の文学研究者の行動記録。

お仕事募集中です。ご依頼は 84oca75 (アットマーク) gmail.com へお願いします。
解題『ドリトル先生航海記』(8)──運まかせの旅行
 船の操舵に必要な人員の確保が振り出しに戻ったところで先生が到着を待ちわびていた紫極楽鳥のミランダがようやくパドルビーに到着しますが、先生は彼女がもたらしたニュースに落胆します。それでも気を取り直し、次の航海の行き先を決める「運まかせの旅行」の儀式を執り行ったところ、鉛筆が示した行き先は──。
紫極楽鳥のミランダ
紫極楽鳥のミランダ(『ドリトル先生航海記』挿絵、ヒュー・ロフティング画)

 歴史的な巡回裁判の喧騒を抜け出して先生とスタビンズ少年がオクスンソープ通りのドリトル邸に戻って来ると、そこには先生が待ちわびていた来客──アマゾンの熱帯雨林から毎年夏にイギリスへ先生を訪ねて来る紫極楽鳥のミランダが到着していましたが、彼女はさめざめと泣いていました。ポリネシアが言うには、ミランダが到着するやいなや庭にたむろしていた口の悪いロンドンっ子のスズメ、チープサイド(Cheapside)に「おまえさんなんか、ここの庭に来るもんじゃないよ……婦人装身具店の陳列窓の中にいればいいんだよ」と中傷されたと言うのです。先生は怒ってチープサイドを追い返し、落胆するミランダをなだめますが彼女がひどく落ち込んでいる理由はチープサイドの中傷だけが原因ではないようでした。チープサイドは、ここでは単に「嫌な奴」として顔見せだけの登場ですが次巻『ドリトル先生の郵便局』以降ではドリトル家の動物たちも顔負けの活躍を見せてくれるようになります。
 ミランダが落ち込んでいるもう一つの理由は、ロング・アローが消息不明になったことでした。アンデス山麓に居を構えてはいるものの、ドリトル先生以上に方々を旅して回り西洋人には未だ知られていない昆虫や植物の知識に長けているロング・アローはしばしば、足取りが掴めなくなるのですが南米の鳥たちが上空から狩りの姿を見つけるとその噂はすぐにミランダの所へも届き、ドリトル先生は彼女を通じて西洋人の多くの学者には全く存在を知られていない偉大な博物学の大家について知っていたのでした。ミランダが言うには、ロング・アローの姿が最後に確認されたのは南米大陸の沖合に浮かぶクモサル島(Spidermonkey Island)だと言うことでしたが、その島から外に出た形跡が無いと言うのです。
 この、ミランダがバッドニュースをもたらしてそれが旅の動機になると言う展開は前巻『アフリカゆき』で季節外れのツバメがアフリカの猿たちの危機を知らせて来た時と非常によく似ています。ロフティングはこれに限らずシリーズ中、過去に用いられたシチュエーションをパターン化して再利用を繰り返すことが少なくないのですが、特にシリーズ7 - 9巻(いわゆる「月世界三部作」)の頃は本人もそれに気付き、世間では依然として高評価で人気は健在だったにも関わらず創作者としての限界を感じ、かなり苦しんだと言われています。

 そして、先生はバッドニュースを振り切るかのように次の旅行の行き先を決める恒例の儀式をやることに決めます。その儀式は運まかせの旅行(Blind travel, 直訳すれば「目隠し旅行」でしょうか。昔は別の、差別用語を含む訳語が主に使われていましたがここでは岩波の2000年改版での修正に従います)と呼ばれるもので、目を閉じながら地図帳(一枚物の地図ではありません)を拡げてページを早めくりし「ここだ」と思った場所に鉛筆を突き立てて先端が示した場所を目的地にすると言うのが基本ルールです。特例として「過去に一度でも行ったことのある場所は対象外」とされています。
 先生がこの遊びを始めたのは「妹のサラと同居する前」だと言うので、故郷のパドルビーを離れて大学(第4巻『サーカス』で改めて解説しますが、先生の母校はイングランド北部にあり、西部のパドルビーから通学出来るような場所ではありません)に通っていた頃だと思われます。当時から愛用しているという地図帳は1808年にスコットランド(グレートブリテン島の北部、連合王国を構成する国の一つ)のエディンバラで発行されたもので、最初に太陽系(海王星の発見は作中の1839年から7年後の1846年で、天王星が太陽系の一番外にある惑星だと思われていました)、その次に北半球と南半球(正射図法を用いているのでしょう)、太平洋や大西洋などの海洋、大陸、そして各国図の順で様々な地図が掲載されています。
 スタビンズ少年は物珍しそうに地図を眺めながら、先生に例えば北極点が行き先に決まったらどうなるのかと聞いてみました。ここで先生は「1809年4月に北極点へ行ったことがある」と打ち明けます。先生はそこで北極点の地下に大量の石炭が埋まっていることをホッキョクグマに教わったものの、そのことが知れ渡ったら人間が次々にやって来て乱開発で彼らの住処が荒らされるに違いないと思って公表しないことを約束したと言うのです。「しかし、前巻『アフリカゆき』でのポリネシアの年齢から逆算すると先生か動物語を教わったのは1820年代後半から30年代前半なのでは?」と言う突っ込みはさておき、儀式が始まりました。そして、スタビンズ少年が突き立てた鉛筆の先端は──ロング・アローが消息を絶ったクモサル島を指し示していたのでした。
| 84oca | ドリトル先生航海記 | 20:15 | comments(0) | trackbacks(0) |

コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://lawnbowls.blog.bai.ne.jp/trackback/196690
トラックバック

CALENDAR
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< October 2017 >>
RECOMMEND RECOMMEND RECOMMEND RECOMMEND RECOMMEND RECOMMEND RECOMMEND RECOMMEND RECOMMEND RECOMMEND RECOMMEND COMMENTS
RECENT TRACKBACK
  • 解題『ドリトル先生局』──『郵便局』と『サーカス』はどっちが先?
    Lawnbowls (08/05)
  • ヒュー・ロフティング伝(4)──ナイジェリア時代
    Lawnbowls (07/11)
  • 解題『ドリトル先生アフリカゆき』(8)──人種差別問題
    Lawnbowls (06/07)
CATEGORIES ARCHIVES LINKS PROFILE OTHERS