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ヒュー・ロフティング伝(2)──バークシャー州メイデンヘッド
『ドリトル先生』シリーズの作者、ヒュー・ジョン・ロフティング(Hugh John Lofting)は、1886年1月14日にイングランド南東部のバークシャー州(Berkshire)にあるメイデンヘッド(Maidenhead)という町で生まれました。しかし、現在ではメイデンヘッドのみならずイギリス全域でロフティングの知名度は存命時に比べて低下しており、地元でも「郷土作家」としては扱われていないようです。


ドリトル先生の世界』(国書刊行会、2011年)の著者、南條竹則氏は日本航空の機内誌『SKYWARD』2008年4月号に掲載された「イギリス ドリトル先生に誘われて」で現地を訪問しており、その記事や新潮社『考える人』2010年冬号特集記事、そして『ドリトル先生の世界』などで現地取材について詳述しています。氏によれば、メイデンヘッドの公立図書館にロフティングや『ドリトル先生』についてまとめた一冊のファイルが保管されており、中には出生証明書の現物(岩波少年文庫の『秘密の湖』下巻に2000年改版より掲載されている解説「ロフティングの出生証明書」で、新井満氏が述べているものと同じでしょう)や新聞記事の切り抜き、主にポーランドや旧ユーゴスラビアのファンから送られて来たファンレターなどがまとめられているそうです。
 出生証明書によれば、ヒューの生家はメイデンヘッドのノーフォーク・ロード(Norfolrk Road)に面していたそうですがその家が現存するのか、また現存しないにしてもどの場所に建っていたのかはわからないと言うことです。

ノーフォーク・ロードの位置 大きな地図で見る


 当のヒュー自身も生前にこのメイデンヘッドという場所を「故郷」として強く意識していたかは疑問の余地があります。何故なら、1881年から1911年までの国勢調査記録を調べてみるとロフティング家の五男一女は以下のように出生地がそれぞれ異なっており、父のジョン・ブライアン・ロフティングもメイデンヘッドではなくロンドン北部のハイゲートで1857年に生まれたとされているからです。
  • 長男:ヒラリー(Hilary Lofting, 1881 - 1939)‥ロンドン南部、ノーウッド生まれ。
  • 次男:ジョン・ヘンリー(John Henry Lofting, 1882 - ?)‥シュロップシャー州オスウェストリー生まれ。
  • 三男:エリック・エドワード(Eric Edward Lofting, 1884 - 1950?)‥バークシャー州クッカム生まれ。
  • 四男:ヒュー・ジョン(Hugh John Lofting, 1886 - 1947)‥バークシャー州メイデンヘッド生まれ。
  • 五男:フランシス・バジル(Francis Basil Lofting, 1891 - ?)‥ロンドン南部、バラム生まれ。
  • 長女:メアリー・アンジェラ・エリザベス(Mary Angela Elizabeth Lofting, 1892 - 1982)‥フランシスと同じバラム生まれ。

 また、弟のフランシスが生まれた1891年の国勢調査記録によるとロフティング家は当時、ロンドン南部のストリーサムに居住していたものの、何故か当時5歳のヒューと7歳の三兄・エリックはイングランド南部のボーンマス(Bournemouth)という町に住んでいた祖父のジョン・トーマス(John Thomas Lofting, 1832 - 1915)宅に預けられていたことがわかります。ストリーサムの家が手狭なことと、弟の出産が近かったことが理由かも知れません。

 ジョン・ブライアンの職業は長兄のヒラリーが5月に生まれる直前に実施された1881年の国勢調査では"Staircase Maker (Wood)"、つまり「木製螺旋階段職人」となっていますが、後に王立サーベイヤー協会の認定資格である積算士(Quantity Surveyor)の資格を取って1933年に亡くなるまでこの仕事を家業としていたようです。積算士というのは発注者が提示する予算の内訳を見積もって施工業者と価格交渉を行う技能職で、何百年も同じ建物を補修しながら使い続けるヨーロッパならではと言える職業です。特にイギリスでは、王立協会公認資格として安定した地位と収入が保証される伝統的な職業となっています。
 ロフティング家では当初、ケンブリッジ大学構成校の一つである聖エドムント・カレッジを卒業して土木技師となった長男のヒラリーが家業を継ぐはずだったものの、ヒラリーは王立協会の認定試験合格が叶わなかったようで1915年にオーストラリアへ移住し、代わりに次男のジョン・ヘンリーが資格を取って家業を継いだようです。また、三男のエリックも建築家となりイングランド北部のニューカッスル・アポン・タインに建つ聖ジェームズ&聖バジル教会(The Church of St. James and St. Basil地図)など、エリックが設計した建築物がイングランド北部やスコットランドに何点か現存しています。
 積算士は各地で建築・補修の需要があれば機動的に対応しなければならない職業のため、ロフティング家の子供たちも一箇所に留まらずイギリス各地を転々としていたのでしょう。ヒューの出生地であるメイデンヘッドも、パドルビーの所在地とされるスロップシャー州(Slopshire)の名前の由来と見られ次兄のジョン・ヘンリーが生まれたシュロップシャー州(Shropshire)も海には面していませんが『ドリトル先生航海記』の冒頭でトーマス・スタビンズ少年がパドルビーの運河で往来する船を眺めていた光景は、もしかするとヒューが祖父宅に預けられていた頃に見たボーンマスの光景がモデルの一つになっているのかも知れません。
| 84oca | ヒュー・ロフティング伝 | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) |

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