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ある在野の文学研究者の行動記録。

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解題『ドリトル先生航海記』(6)──ドリトル先生とダーウィン
 スタビンズ少年がドリトル先生の助手になった時期、先生は魚介類の言葉を研究していました。しかし、旅先から連れて帰って来た珍しい魚と貝の中間種、イフ・ワフ(Wiff-Waff)の言語解析では思うような成果を挙げられず研究は行き詰まってしまいます。
女装したチーチーの帰還
女装したチーチーの帰還(『ドリトル先生航海記』挿絵、ヒュー・ロフティング画)

 アフリカからポリネシアが帰って来てからほどなく、チーチーもドリトル家へ帰って来ます。チーチーの場合は、ポリネシアのように飛べる訳ではないので女物の服を調達してイギリス行きの船に密航し、船内で何度も怪しまれながらも持ち前の機転で切り抜けてようやく懐かしのパドルビーにたどり着いたのでした。

 さて、ドリトル先生がスタビンズ少年と知り合う以前から、先生は小型の魚介類の言葉を研究していました。それ以前から『アフリカゆき』でバーバリ海賊団を懲らしめた時のようにサメのような大型種であれば会話が出来たのですが、先生の飽くなき探求心はさらに小さな魚や貝との会話に向けられていたのです。直前までの旅行も珍しい魚と貝の中間種であるイフ・ワフを持ち帰り、その言語を解析するためでした。しかし、このイフ・ワフは余り知能が高くなく「暑い」「寒い」など数種類の感情表現をするのが精いっぱいだと言うことで、研究は行き詰まってしまいます。
 スタビンズが先生に弟子入りを志願した際、スタビンズは母親が自分に基礎的な読み書きを習わせたいが貧しくて学校に通えないことを気にしている旨を打ち明けると、先生はこう言いました。
「さよう、どんなものかな。だが、読み書きができるのは、けっこうなことだ。しかし、博物学者にも、いろいろある。たとえば、いま人のうわさにうるさい、あの若いチャールズ・ダーウィンという男は、ケンブリッジ大学の卒業生で、読み書きにひいでておる。それから、キュヴィエーは先生をしておった。だが、よいかね、その連中の中でも、いちばんえらい博物学者は、じぶんの名まえさえ書けないし、ABCも読めないのだ……まことにふしぎな人物だ。名まえはロング・アローといって、ゴールデン・アローのせがれだ。アメリカ・インディアンでね。」

(訳・井伏鱒二)
 先生がチャールズ・ダーウィン(Charles Darwin. 1809 - 1882)のことを「いま人のうわさにうるさい」と述べているのは1831年から5年を費やしてイギリス海軍の測量船・ビーグル号で世界一周を敢行し、本作の時代設定である1839年頃には学界の内外を問わず一躍、時の人としてもてはやされていたことを指しているのは言うまでもありません。この航海に関する記録が出版されたのは1842年ですが先生は1837年以降に順次、学界で出回っていた学術論文には接していたはずで、ダーウィンの文才は高く評価しているものの学者としての姿勢は余り高く評価していないようにも取れます。これは先生が学会内で異端ないし変人扱いされていることが関係している訳でも新進気鋭の博物学者に対して一方的にライバル意識を持っている訳でもなく、他の博物学者がいくら世間に受ける発表をしたところで、研究対象たる動物とのコミュニケートが取れる真の学者は自分やロング・アローなどごく少数しか存在しないと言う自負がそうさせているように取れなくもありません。河合祥一郎の新訳版では訳者あとがきにおいて、あらゆる生命は「神様がお創りになった」と考える敬虔なキリスト教徒であるドリトル先生はダーウィンが後に提唱した自然選択(適者生存)説に冷たさを感じたのではないかと述べていますが、筆者はこの読み方に対して「ちょっと違うかな」と感じています。何しろ、シリーズ全巻を通じて教会で礼拝を捧げる描写は皆無に等しく、聖書からの引用句も稀なことが「キリスト教徒なら知ってて当然」な知識や経験を前提とした描写の多い欧米の作品と一線を画し、キリスト教国でない日本で多くの愛読者を獲得した理由の一つになっていると感じるからです。また、作者のロフティング自身はイングランドにおいてマイノリティに属するカトリック信徒だったものの、晩年には信仰の放棄にまでは至らずともキリスト教そのものに対して懐疑的になっていたことが、特に第10巻『秘密の湖』の記述に色濃く現れているように思えます。

 ダーウィンと合わせて名前を挙げられていたジョルジュ・キュヴィエ(Georges Cuvier, 1769 - 1832)は本作の年代には既に故人となっていた人物で、生前はコレージュ・ド・フランスで教鞭を執っていました。また、前巻『アフリカゆき』でオシツオサレツについて著書の『博物誌』に何か記述を残していないかとして先生が名前を挙げたビュフォン(Georges-Louis Leclerc, Comte de Buffon, 1707 - 1788)も実在する博物学者です。ところで、アフリカの猿がオシツオサレツを先生に寄贈する際、他にイグアナとオカピが候補に挙げられていましたが、チーチーが「ロンドン動物園で飼われている」と言っていたイグアナの生息地は主に南米で、アフリカではマダガスカル島に生息地が限られています。チーチーが「アントワープ動物園にいた」と言っていたオカピは19世紀には知られておらず、もっと後の1901年にザイール高地(現在のコンゴ民主共和国)で初めて確認された動物で、アントワープ動物園での飼育開始は1919年のことでした。『アフリカゆき』の完成直前にこのニュースが報じられたことが、ロフティングの十八番である時代錯誤(アナクロニズム)を引き起こした一例と言えるでしょう。
| 84oca | ドリトル先生航海記 | 18:14 | comments(0) | trackbacks(0) |

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