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解題『ドリトル先生航海記』(5)──ドリトル家の庭園
 ドリトル家の広大な庭園では、数多くの動物や昆虫が共存していました。その設計に先生の徹底した思想が貫かれていることにスタビンズ少年は感心し、遂には弟子入りを志願します。
ポリネシアに指導を受けるスタビンズ少年
ポリネシアに指導を受けるスタビンズ少年
(『ドリトル先生航海記』挿絵、ヒュー・ロフティング画)

 ドリトル先生の人柄にすっかり心酔したスタビンズ少年は連日、ドリトル家へ通うようになります。そして、かつて先生がそうであったようにポリネシアから動物語の基礎を習うよえうになり、先生には遠く及ばないながらも少しずつ動物語を習得して行くのでした。

 さて、前作『アフリカゆき』でも若干、触れられていたように妹のサラがドリトル家を飛び出してお嫁に行ってしまう以前から、さすがは英国紳士と言うべきか庭の手入れだけはドリトル先生がこだわりを持って直に行っていました。
 それから長い月日が経ち、ドリトル家の広大な庭園は博物学者としての研究素材の集積と動物たちにとって理想的な環境の実証実験を行う場に生まれ変わっていました。スタビンズ少年は先生の案内で庭園を見て回り、昆虫や植物を飼育する為の温室や19世紀前半にはまだ珍しかったポンプ付きの水槽が立ち並ぶ小規模な水族館など最新鋭の設備に感心させられます。
 また、この庭にはリスやアナグマなど数多くの小動物、馬や牛、それからかつてアフリカの猿から先生に贈られた双頭のオシツオサレツなども全て、檻に閉じ込められることも無く放し飼いにされていました。その光景に違和感を持ったスタビンズ少年は、不意に尋ねます。
「ライオンやトラも、いるんですか?」と、私は先生とならんで歩きながら、いいました。
「いや、いない。」と、先生はいいました。「ここでは、飼うことができないのだ。いや、飼うことができるとしても、わしは飼わないつもりだ。わしの流儀でゆくと、世界じゅうどこをさがしても、おりにとじこめられたライオンやトラは、一頭もいてはならんのだ。かれらは、とじこめられるのがきらいなのだ。幸福でもないし、けっしておちつかない。ライオンやトラのような動物は、じぶんの生まれた国を、いつも忘れることができないのだ。それは、かれらの目を見ればわかる……おりの中では、なにがあたえられるだろう。ねえきみ、そもそも、なにがあるというのだろう。鉄格子のはまった、みすぼらしいおり、一日一回なげこまれる死肉のきれ、それから、口をぽかんとあけて、かれらを見にやってくるたくさんのまぬけども。ああ、スタビンズ君! ライオンやトラは、けっして動物園なんかに入れてはいけないのだ。」

(訳・井伏鱒二)
 この場面で強く打ち出されているドリトル先生の、ひいては作者であるロフティングの思想は後の第4巻『サーカス』や第6巻『キャラバン』の伏線とも言えるものになっています。時系列上はサーカス団時代の方が『航海記』よりも以前の出来事なので、先生がかつてサーカス団で寝食を共にした巡回動物園のライオンやヒョウのことを思い浮かべていたのは間違い無いでしょう。理想論の吐露が鼻についてなんとなく読み流してしまう読者も多そうな場面ですが、後の巻で先生がこの思想に基づいて不潔な巡回動物園で飼われていた動物たちの福祉を常に優先し、サーカス団の解散後はそれぞれの動物を故郷に送り返すところまで理想を貫徹・実践したうえでの発言であったことを知ると、飽くまでもフィクション上の出来事とは言えこの発言が単なる理想論ではなかったと言うことに読者は気付かされるのです。

 後日、スタビンズ少年は正式に先生への弟子入りを志願します。両親は10歳にも満たない一人息子が余りにも早く一人立ちを宣言したことに戸惑いますが、家が貧しく学校に通わせられないことを気にしていたのでドリトル先生の弟子にしてもらえるのならこれほど名誉なことは無いと賛成し、息子を送り出してくれました。こうして、スタビンズ少年はドリトル家に下宿して先生の研究を手伝いながら初歩的な勉強を教えてもらい、またポリネシアからは引き続き動物語の基礎を教わる生活が始まりました。

 ヒュー・ロフティングはスタビンズ少年よりも早く8歳の時には当時、ロンドンの郊外に住んでいた両親の元を離れてダービーシャー州の寄宿校に入学し、11年間をそこで過ごしました。卒業する頃には5歳年上の長兄、ヒラリー・ロフティング(Hilary Lofting, 1881 - 1939)が聖エドムント・カレッジ(ケンブリッジ大学構成校の一つ)を卒業して土木技師になりイギリスを離れて海外で仕事をしていたので、幼少期から世界各国を自分の足で回りたいと思っていたヒューも長兄と同じ土木技師を志したようです。
 そして、パドルビーの運河で見たことも無い遠くの国と行き来する船を眺めるのが趣味だったスタビンズ少年にもドリトル先生に弟子入りしてからほどなく、初めての航海の機会が訪れるのでした。
| 84oca | ドリトル先生航海記 | 14:40 | comments(0) | trackbacks(0) |

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