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解題『ドリトル先生』──忘れ去られた日本への最初の紹介
『ドリトル先生』シリーズの日本における最初の紹介は、多くの方が岩波版の巻末に書かれている「1940年に石井桃子がアメリカの友人から送ってもらった『ドリトル先生アフリカゆき』の原書を井伏鱒二に紹介し、井伏訳で白林少年館出版部から1941年に刊行された」のが嚆矢だと認識されていると思います。事実、石井・井伏の両名とも生前はそう認識していたようでした。
 ところが、実際は井伏訳の『アフリカゆき』が刊行される15年も前の1925(大正15/昭和元)年に第2巻『ドリトル先生航海記』は別の翻訳者の手で日本に紹介されていたのです──。

 現在は日記帳を主力商品とする博文館新社の前身企業・博文館は1923年の関東大震災で社屋を失ったダメージにより失速するまでは日本最大の出版社として出版業界の頂点に立っていました。この博文館が1895(明治28)年に巌谷小波を主筆に迎えて創刊した児童誌『少年世界』は幸田露伴、佐佐木信綱、田山花袋、徳田秋声、泉鏡花ら錚々たる執筆陣を迎え、創作童話や海外児童文学作品の紹介に大きな役割を果たして来た雑誌で、例えばルイス・キャロルの『アリス』も1899(明治32)年に第2作『鏡の国のアリス』が長谷川天渓(1876 - 1940)の訳により「鏡世界」の表題で本誌に連載されたのが日本における最初の紹介です。この連載では登場人物の名前が日本風にローカライズされ主人公のアリスは美代(美ィちゃん)、トゥイードルダムとトゥイードルディは「太郎吉と次郎吉」、ハンプティ・ダンプティは「権兵衛」と言う名前になっていました。
『ドリトル先生』の日本における最初の紹介はそれから四半世紀後の1925年、博文館がなお1年半前の関東大震災の痛手に苦しむ状況下において『少年世界』1月号から12月号まで雑誌連載という形で行われました。翻訳者は戦後に精神分析の第一人者と称された心理学者の大槻憲二(1891 - 1977)で、プロレタリア文学に批判的な立場から文芸評論を行っていた一環として1923年にアメリカで第2回ニューベリー賞を受賞した評判の児童文学作品である『航海記』の翻訳を行ったようです。連載時の表題は「ドーリットル博士の航海」。挿画はロフティングのオリジナルでなく、小笠原寛三が新規に描き起こしたものが使われています。

 この大槻訳は単行本化もされず、長く忘れ去られた状態となっていましたが2007年に大空社より刊行された『図説 児童文学翻訳大事典』第3巻で『アフリカゆき』の初訳である白林少年館版と共に連載の冒頭部分や挿画が紹介され、約80年ぶりに日の目を見ることになりました。
| 84oca | ドリトル先生 (シリーズ全般) | 13:16 | comments(0) | trackbacks(0) |

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