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ある在野の文学研究者の行動記録。

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解題『ドリトル先生アフリカゆき』(6)──ライオンの大将
 数々の苦難を乗り越えて、ようやく猿の国にたどり着いたドリトル先生。病気に苦しむ猿が余りにも多過ぎるので、他の動物たちにも手伝ってほしいと要請するのですが──。
ライオンの大将との対面
「動物の大将たるこのわしに、けがらわしいサルどもの世話をしろだと?」
(『ドリトル先生アフリカゆき』挿絵、ヒュー・ロフティング画)

 嵐に巻き込まれて船が沈没してしまったものの、どうにかアフリカ大陸へ到着したドリトル先生の一行はこの一帯を治めるジョリギンキ王国の兵士に連れられて国王と面会します。先生は猿の国へ行く為の通行許可を求めますが、国王は以前に西洋人がジョリギンキの国土を好き勝手に荒らしたので西洋人を信用していないと言い──その割に、国王も王妃のエルミントルードもテニスや舞踏会など西洋趣味を嗜んでいるのですが──先生たちを投獄してしまいます。ポリネシアが策を講じて先生たちは翌朝に釈放され、猿の国への旅路を急ぎますが、ポリネシアに騙されたことに気が付いた国王が兵士を総動員し、遂にジョリギンキと猿の国へ隔てる断崖絶壁に追い詰められてしまいます。この騒ぎを聞きつけた猿たちは一斉に手をつないで峡谷に「猿の橋」を架け、先生もドリトル家の動物たちも間一髪のところで追っ手を逃れて無事に猿の国へたどり着くことが出来たのでした。

 猿の国では、ゴリラ、オランウータン、チンパンジー、ヒヒ、ネズミザル、灰色ザル、赤ザルなど数えきれないほど多くの猿が伝染病に苦しんでいました。不幸なことに、手遅れで亡くなった猿も少なくありませんでした。ドリトル先生は歓迎される間も無くすぐに仮設の診療所を建ててまだ病気に感染していない猿には一心不乱に予防注射を接種し、病気の猿には絶対安静を言い渡して仮設病棟のベッドに寝かしつけたのでした。
 それでも、余りにも病気になった猿の数が多過ぎて手が回らないので他の動物たちに協力を仰ぐことにします。先生は最初に、ライオンの大将に猿の看護を手伝って欲しいと要請しましたが、ライオンの大将はふん、と鼻を鳴らしながらこう答えます。
「よくも、このわしにたのめたものだ……動物の大将たる、このわしにだ。よくも、けがらわしいサルどものせわをしろと、たのめたものだ。ふん、サルなんてものは、おやつにも食えやしないのだ。」

(訳・井伏鱒二)
 こうして、ライオンは先生の頼みを断ってしまいます。ライオンだけでなく、ライオンの腰巾着として振る舞っているヒョウもライオンと同じように断り、気の弱いカモシカも「看病などしたことがないから」と申し訳なさそうに辞退してしまったので、先生はすっかり困り果ててしまいました。
 ライオンの大将が上機嫌で棲み家に帰って来ると、奥さんの雌ライオンが心配そうな顔をしていました。2頭の子供の内1頭の食欲が無く、具合が悪そうなのです。そこで大将が「ドリトルとか言う人間の医者が猿の看病をしろなどとふざけたことを頼んで来たから、もちろん断ってやった」と自慢気に話し始めたことに、雌ライオンは烈火の如く怒り出しました。
 あなたのような、ばかはいませんよ……ここからインド洋沿岸にいたるまで、どんな動物だって、いかなる病気もおなおしくださるという大先生を知らない者は、一ぴきもいないんです。世界じゅうで動物語のできる、ただひとりのおかたではありませんか! それなのに、いま家の子が、病気になった折も折、なぜあなたは、そのおかたをおこらしてきたのでしょう! 大ばかの三太郎! りっぱなお医者さんに乱暴な口をきくなんて、昔から、ばかでなくてはできやしない。ほんとに、あなたは──。」

(訳・井伏鱒二)
 原文の"You great booby!"を「大ばかの三太郎!」と訳すあたりはまさしく井伏文学の為せる業と言えるでしょう。つい先日、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで岩波少年文庫に収録される以前の光文社版『ドリトル先生アフリカ行き』が公開されました。この光文社版は1947年刊行で、日本で最初に刊行された白林少年館版(1941年)や白林少年館の活動休止後に引き継いだフタバ書院版(同年)とほぼ同じ訳文を使用していますが、挿絵を描いている画家、今風に言えばイラストレーターはそれぞれ異なります。光文社版は大正から昭和初期にかけて少年雑誌で活躍した河目悌二(1889 - 1958)のイラストですね。そして、この部分の言い回しは旧訳から「大馬鹿の三太郎!」でした。但し、この後の「黒人のように働くんですよ」と言う部分は、原文に現在では差別用語とされる表現が含まれることもあり、1978年の改版では「身を粉にして働くんですよ」と改訂されています。

 こうして、奥さんに叱責されたライオンの大将は先生に非礼を詫び、ヒョウやカモシカを連れて「猿を風呂に入れるのだけは御免こうむりたい」と言いながらも看病を手伝うようになりました。手伝いが増えて以降、病気の猿たちは順調に退院し、2週間目には最後の猿も快復して恐ろしい伝染病は遂に終息を迎えます。それから三日三晩、ドリトル先生は一心不乱に眠り続けたのでした。

 さて、どうもこのライオンの大将と奥さんの関係は作者であるヒュー本人とフローラ夫人の関係をモデルにしているようです。フローラ夫人は1920年の国勢調査記録によればヒューよりも5歳年上で、フローラ夫人に頭が上がらないヒューの様子が以前に紹介したパンフレット『ドリトル先生の出来るまで The Making of Doctor Dolittle』でも描かれています。
ヒューとフローラ夫人
ヒューとフローラ夫人(ヒュー・ロフティング画、The Making of Doctor Dolittleより)
| 84oca | ドリトル先生アフリカゆき | 08:42 | comments(0) | trackbacks(0) |

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