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解題『ドリトル先生アフリカゆき』(1)──戦場で生まれた物語
『ドリトル先生』シリーズの第1巻に当たる『ドリトル先生アフリカゆき』は1920年にアメリカ合衆国の出版社、F・A・ストークスから刊行されました。2年遅れて1922年にイギリスのジョナサン・ケープから、そして日本では1941年に白林少年館出版部から井伏鱒二の訳で刊行されたものが最初です。1951年以降は岩波少年文庫の1巻として刊行され、1961年には愛蔵版「ドリトル先生物語全集」の第1巻として現在も刊行が続けられています。

ストークス版の表紙
F・A・ストークス版(1920年)の表紙

ジョナサン・ケープ版の表紙
ジョナサン・ケープ版(1922年)の表紙


 物語の正式な表題は"The Story of Doctor Dolittle, being the history of his peculiar life at home and astonishing adventures in foreign parts"、直訳すれば「ドリトル博士の物語、彼の独特な家庭生活と異国での驚くべき冒険に満ちた半生について」と言ったところでしょうか。日本でこの物語を最初に訳した井伏鱒二は1978年の全集が改版された際の訳者あとがきで「どこのことを書いた物語かをだいたい示すため」に『ドリトル先生アフリカゆき』という邦題を付けたと述べており、後年に刊行された井伏訳以外の大半の日本語訳もこの慣例を踏襲しています。

 作者のヒュー・ロフティングは1886年1月14日にイングランドのバークシャー州で生まれました。五男一女の四男で上にはお兄さんが3人、下に弟が1人と末の妹がいました。幼少期から弟や妹に自分で創作したお話を聞かせるのが好きだったと言われています。
 8歳から18歳まで親元を離れてダービーシャー州の学校で寄宿生活を送った後に渡米し、マサチューセッツ工科大学へ入学しますが1年で中退してイギリスに帰国し、職業訓練校のロンドン・ポリテクニック(現在のウェストミンスター大学の前身校の一つ)への編入を経て土木技師になります。最初はカナダで金鉱の採掘と測量、その次に当時はイギリスの保護領だった西アフリカのナイジェリアやスペインから独立したばかりの新興国だったカリブ海の島国・キューバで鉄道建設に参加します。しかし、ナイジェリアやキューバでの生活は子供の頃から世界各地を自分の足で訪れ、実際に見て回りたいと思っていたヒューの理想とは遠くかけ離れたものでした。結局、ヒューはキューバでの仕事を終えると1912年にニューヨークへ渡り、フローラ・スモールと結婚してアメリカの永住権を申請します(アメリカの永住権を取得した後も生涯、イギリス国籍を持ち続けていました)。
 ヒューはニューヨークでイギリス情報省の駐在員を務める傍ら、雑誌に紀行文やコラム、短編小説の投稿を始めるようになります。最初の小説『排水溝と橋 Culverts and the Bridge』を書いたのもこの頃ですが、この短編小説は1931年に雑誌掲載の形で発表されたものの単行本化はされていないようです。1913年に長女のエリザベスが、1915年に長男のコリンが生まれた後、第一次世界大戦が勃発しヒューはイギリス陸軍の近衛部隊・アイリッシュガーズ連隊の志願兵として西部戦線に赴きました。このアイリッシュガーズ(Irish Guards)連隊は1900年、ヴィクトリア女王がボーア戦争でのアイルランド人兵士の活躍を讃えて創設した近衛連隊で、グレナディアガーズ、コールドストリームガーズ、スコッツガーズに続くもので、後にウェルシュガーズ連隊が創設されたので現在は5つある連隊の4番目に当たります。アイリッシュガーズ連隊にはアイルランド人やアイルランド系の血縁者がいる志願兵が配属されることになっており、ヒューはお母さんがアイルランド人だったので(母親をイングランド人とするブリッシェンの説は誤り)、この部隊に配属されたのです。日本で刊行された多くの解説では、岩波版はもとより直近の角川つばさ文庫でも"Irish Guards"を「アイルランド軍」と訳していますが、現在のアイルランド共和国の国防軍とは全く関係が無いので混同しないよう注意が必要です。

 1917年の西部戦線はイギリス・フランス・ベルギー、後にアメリカが加わる連合軍とドイツやオーストリア=ハンガリー、オスマン帝国からなる同盟軍が衝突する最前線でした。両軍ともフランス北部からベルギー南部のフランドル地方で一進一退を繰り返し、塹壕を掘って敵軍の銃弾をやり過ごす消耗戦を続けていましたがヒューがフランドルの前線に到着した頃は、ドイツ軍が1899年のハーグ陸戦条約で使用が禁止されていた毒ガス兵器をなりふり構わず投入してイギリス軍に多数の犠牲者が出るなど、連合軍側が劣勢を強いられていました。
 この西部戦線では戦車が初めて実用化されたことで知られていますが、まだまだ主戦力となるにはほど遠く、昔ながらの騎馬部隊が前線に配置されていた他、伝令にも馬が使役されていました。戦場で使役されていた動物は馬だけでなく、イギリス軍ではドイツ軍の毒ガス攻撃検知と伝染病を媒介するネズミを捕える二つの目的で、塹壕に猫を飼っていました。
「戦況が膠着し、食糧が不足し始めると猫は次第に元気を無くして痩せ衰え、遂には悟りの境地に達したかのような目つきになってしまった」と後年にヒューは回想しています。馬の境遇はなお悲惨なもので、軍隊には人間を診察する軍医はいても獣医はいません。だから、兵士が負傷した時は診察してもらえるのですが軍用馬が負傷した場合は診察など為されず、足手まといにならないようその場で銃殺されていたのです。ヒューはその光景に衝撃を受け、世の不条理を感じずにはいられませんでした──そして「馬の言葉、ひいてはあらゆる動物の言葉が自由に話せる腕利きの獣医がここにいれば、どんなに素晴らしいだろう」と閃いたのです。
 そこで、ヒューは塹壕の中でペンを執りニューヨークで父の帰りを待つ二人の子供に宛てた手紙に、イングランドの片田舎に住む動物の言葉が自由に話せる獣医・ドリトル先生(Doctor Dolittle)の物語を、挿絵も自分で描いて連日のように送り始めました。ヒューからエリザベスとコリンに宛てた手紙はニューヨークのロフティング家で丁寧に製本され、私家版『ドリトル先生アフリカゆき』が誕生したのです──ルイス・キャロルがアリス・リデルにプレゼントした『不思議の国のアリス』の原本『地下の国のアリス』のように。



The Story of Doctor Dolittle - 原文。

The Night We Talked to Santa Claus by Lynne Lofting - 長女のエリザベス(リン)が1960年に発表した、ヒューが西部戦線に従軍していた1917年のクリスマスの思い出に関するエッセイ。

『ドリトル先生アフリカゆき』についてもっと詳しく知りたい方には、以下のサイトも参考になります。

『ドリトル先生アフリカゆき』 ドリトル先生物語全集1こども図書館ドットコム
| 84oca | ドリトル先生アフリカゆき | 00:12 | comments(0) | trackbacks(0) |


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